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昭和天皇実録・2014/9 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
内廷費 天皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもので,法律により定額が定められ,平成26年度は,3億2,400万円です。 内廷費として支出されたものは,御手元金となり,宮内庁の経理する公金ではありません。(皇室経済法第4条,皇室経済法施行法第7条) |
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宮廷費 儀式,国賓・公賓等の接遇,行幸啓,外国ご訪問など皇室の公的ご活動等に必要な経費,皇室用財産の管理に必要な経費,皇居等の施設の整備に必要な経費などで,平成26年度は,55億6,304万円です。宮廷費は,宮内庁の経理する公金です。(皇室経済法第5条) |
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皇族費 儀式,国賓・公賓等の接遇,行幸啓,外国ご訪問など皇室の公的ご活動等に必要な経費,皇室用財産の管理に必要な経費,皇居等の施設の整備に必要な経費などで,平成26年度は,55億6,304万円です。 宮廷費は,宮内庁の経理する公金です。(皇室経済法第5条) 皇族としての品位保持の資に充てるためのもので,各宮家の皇族に対し年額により支出されます。 皇族費の定額は法律により定められ,平成26年度は,3,050万円です。 これは,各皇族ごとに皇族費を算出する基礎となる額で,平成26年度の皇族費の総額は,2億6,281万円です。皇族費として支出されたものは,各皇族の御手元金となり,宮内庁の経理する公金ではありません。(皇室経済法第6条,皇室経済法施行法第8条) なお,皇族費には,皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金として支出されるものと皇族がその身分を離れる際に一時金として支出されるものもあります。(皇室経済法第6条) |
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宮内庁費 宮内庁の運営のために必要な人件費・事務費などが主なもので,平成26年度は,106億8,997万円です。 |
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昭 和 実 録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2014・9・9 産経ニュース 【編集日誌】 昭和天皇実録 読みとく |
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「記事内容抜粋」 「昭和天皇実録」の内容が9日に公表されましたが、同日付で本紙も詳しく報道しました。 昭和天皇の幼少時のエピソードや終戦の「ご聖断」の経緯など、実録に基づいて「昭和史」をスケッチしてみました。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1/6ページ) 昭和天皇実録 「退位により戦争責任者の聯合国への引渡しを取り止めることができるや否や」 主要記述抜粋(終戦~崩御) |
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「記事内容抜粋」 「昭和天皇実録」の後半には、終戦の 「聖断」 にいたる過程や、戦後の激動の時代での昭和天皇の動きが記されている。(数字は洋数字に変換) 終戦の御前会議・詔書 退位論 新日本建設に関する詔書の発布〈いわゆる「人間宣言」〉 戦後巡幸 日本国憲法の制定過程 天皇の沖縄メッセージ〈シーボルト文書〉 対日平和条約・日米安全保障条約 戦没者追悼〈靖国神社参拝〉 訪米 病気・崩御 昭和64年1月7日 午前6時33分、吹上御所において、皇太子・同妃・徳仁親王・文仁親王・清子内親王・正仁親王・同妃・故雍仁(やすひと)親王妃・故宣仁親王妃・崇仁親王・同妃・寛仁(ともひと)親王・同妃・憲仁親王・同妃、並びに池田隆政・同厚子、島津久永・同貴子・同禎久(よしひさ)、近衛忠●(=火へんに軍)・同●(=ウかんむりの下に心、その下に用)子(やすこ)、千政之・同容子(まさこ)、東久邇(ひがしくに)信彦・同吉子、壬生(みぶ)基博・同幸子、東久邇真彦・同賀鶴子、元皇族総代竹田恒徳・同光子に見守られる中、遂に崩御される。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 戦中の「謁見」1000回、突出していた木戸内大臣(昭和15~20年) |
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「記事内容抜粋」 実録から抽出した謁見などのデータをもとに昭和天皇像を分析した「データでみる実録」の戦中編。 日本は米国との戦争を回避すべく外交交渉を続けたが行き詰まり、昭和16年に開戦に至る。 15年8月以降の5年間、木戸幸一内大臣の「謁見」は約1千回を数え、側近の中でも突出している。 「(木戸から)大東亜戦争の今後の見通しにつき御聴取」などの記述も見られ、昭和天皇が、政界や軍部の内情にも通じた木戸を相談相手とし、激動の時代を乗り切ろうとしたことを裏付けている。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1/7ページ) 昭和天皇実録 二・二六事件「御自ら暴徒鎮定に当たる御意志」 主要記述抜粋(誕生~日米開戦) |
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「記事内容抜粋」 神代を除く歴代天皇で最長となる87年余りにわたる生涯をまとめた「昭和天皇実録」には、昭和天皇の事跡や歴史の重大場面がどのように記されているのか。主な記述の原文を抜粋した。(数字は洋数字) 誕生 命名 明治天皇崩御 欧州訪問 摂政就任 関東大震災 結婚 践祚(せんそ)・改元 即位の礼・大嘗祭(だいじょうさい) 田中義一首相叱責〈張作霖事件〉 海軍軍縮条約〈統帥権干犯〉 満州事変 天皇機関説 二・二六事件 南京陥落 開戦に至る経緯・宣戦の詔書 明治宮殿の焼失 |
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2014・9・9 産経ニュース (1/6ページ) 川瀬弘至 昭和天皇実録 言動考察、当時の社会情勢と照らし合わせ検証を |
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「記事内容抜粋」 宮内庁が公表した昭和天皇実録は、未公開の側近日誌などを含め3152点もの資料を同庁職員が収集・分析し、史実と確認された昭和天皇の事跡を後世に伝えるために編纂された。 だが、その内容や編纂方針をめぐっては、歴史研究者らの間で評価が分かれることだろう。 初出のエピソードが多数盛り込まれた幼・少年期に比べ、即位後は内面に関わる記述が少なく、教科書の書き換えが必要なほどの新事実はほとんどみられなかった。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1/2ページ) 編集委員 岡部伸 昭和天皇実録 ソ連参戦 「五分」と上奏、重臣ら甘い分析 ソ連頼りの終戦構想へ |
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「記事内容抜粋」 昭和20年2月、昭和天皇が首相などを経験した重臣7人に戦局の意見を求めた際、重臣らはソ連について「米英に直ちに加担して対敵行動は取らない」「外交的成功を得たり」「対日参戦は五分」などと誤った情勢分析を上奏(じょうそう)していた。 同月のヤルタ会談でソ連はドイツ降伏3カ月後の対日参戦を密約しており、重臣らの甘い対ソ認識に影響された昭和天皇は、ソ連を最後のよりどころにソ連の仲介で戦争終結を構想するようになったとみられる。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 靖国参拝問題 反対運動が影響 “富田メモ”解釈に触れず |
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「記事内容抜粋」 昭和天皇が昭和50年を最後に靖国神社に参拝しなくなったことについて、野党各党などの反対運動が影響したことが「昭和天皇実録」の記述から明らかになった。 宮内庁の富田朝彦(ともひこ)長官の生前のメモを基にして、いわゆるA級戦犯の合祀(ごうし)が原因だったなどとしたマスコミ報道については、最初に日本経済新聞が報道した事実だけを記述した。 富田メモ 昭和63年4月28日、富田朝彦宮内庁長官(当時)が昭和天皇に謁見した際の内容を記したとされるメモ。 いわゆるA級戦犯の合祀に触れた上、「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと記されていた。 日本経済新聞が平成18年7月20日付朝刊でメモについて報じ、マスコミ各社も報じたが、解釈をめぐり議論がある。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1/3ページ) 昭和天皇実録 「ご聖断」ソ連参戦で決意 報告の18分後「終戦」側近に指示 公表の「実録」時系列から判明 |
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「記事内容抜粋」 宮内庁は9日、昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。 事実として確認された言動や、側近らの謁見日時が時系列で示され、これまで諸説あった終戦の「ご聖断」の経緯が明らかになった。 昭和天皇が最終的にポツダム宣言受諾を決意したのはソ連軍が満州に侵攻したとの情報を得た直後で、ソ連参戦が「ご聖断」の直接原因だったとみられる。 実録には幼少期の生活ぶりなども詳細に記され、公表により近現代史研究が大きく進むことになりそうだ。 昭和天皇 実録 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 「青年君主」側近に支えられ成長(昭和3~8年) |
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「記事内容抜粋」 宮内庁が9日に公表した「昭和天皇実録」(全61巻、1万2137ページ)には、皇族、閣僚、宮中側近らの謁見日時が正確に記されている。 戦前、戦中、戦後の重大局面で、昭和天皇はどんな側近らに支えられ、激動の時代を生きたのか。 実録から抽出したデータをもとに昭和天皇像を分析し、「データでみる実録」としてお届けする。 (賜謁とお召しは面会〈謁見〉の意味。お召しは天皇が特に呼びつけたもの) |
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2014・9・9 産経ニュース (1/2ページ) 昭和天皇実録 大正天皇と鬼ごっこ、家族の愛情に包まれ固い絆 終戦前に皇族一丸 |
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「記事内容抜粋」 宮内庁が9日公表した「昭和天皇実録」では、幼少期の両親や実祖母との交流や、弟宮たちとの絆に支えられ激動の時代を乗り切る様子などこれまで知られていなかったエピソードが記述され、昭和天皇の87年にわたる生涯が家族の愛情や皇族の協力に支えられたものだったことが分かる。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 「しんじゆくや、どう物園などへまゐりました」幼少期の手紙や作文を初公開 |
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「記事内容抜粋」 昭和天皇実録は、初めて公開される幼少時の手紙や作文も収録している。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1/3ページ) 昭和天皇実録 自作の物語に「裕仁新イソップ」 解剖したカエルに「正一位蛙大明神」 幼少期の新逸話 |
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「記事内容抜粋」 「昭和天皇実録」では、昭和天皇をめぐって、さまざまなエピソードや話題が明らかにされている。 クリスマスで靴下におもちゃ 裕仁新イソップ カエルの解剖 明治天皇の命日 ゴルフは16歳から 戦艦大和の命名 ヒトラー批判「何ウシテアンナ仇討メイタコトヲ…」 終戦の御前会議 特例の陪食 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 果たせなかった沖縄訪問…平成に受け継がれた思い |
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「記事内容抜粋」 昭和天皇実録では、全国巡幸中は米国施政下のため47都道府県で唯一訪問できず、その後もついに訪れることができなかった沖縄への強い思いもうかがえる。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 全国巡幸3万3千キロの8年半 戦後復興、国民とともに 「四万人御身辺に押し寄せ」 |
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「記事内容抜粋」 9日に公表された昭和天皇実録。戦後の記述で特筆すべきものの一つが、終戦半年後の昭和21年2月から約8年半かけて、戦禍で傷ついた国民を励ました「全国巡幸」だ。 ※私が小学生の頃、学校の生徒千数百人全員で、道路に正座し、お迎えしたのだが、その時先生曰く 「頭を上げてはならない」 と指示された。 だが、私は天皇陛下のお車が前を通る時、頭を上げ陛下のご尊顔を仰ぎ見た。 確かに皆頭を下げていた。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 面会最多は「植物学者」 顔ぶれガラリ変わる戦後(昭和35~39年) |
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「記事内容抜粋」 実録から抽出した謁見などのデータをもとに昭和天皇像を分析した「データでみる実録」の戦後編の結果は、戦前、戦中とはまったく様相を異にする。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 占領期などの典拠資料、積極公開を 伊藤隆・東京大名誉教授 |
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「記事内容抜粋」 昭和天皇実録は全61巻、1万2千ページ超に及ぶ。 まだその全てを読んだわけではないので中間的な感想にとどまるが、宮内庁は編纂(へんさん)にあたり、膨大な資料を収集し、平和的・進歩的な思想をお持ちだった昭和天皇像を、忠実に描き出そうとした意図がうかがえる。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 新資料は40件 整理・収集3152件から分析 |
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「記事内容抜粋」 宮内庁が「昭和天皇実録」の編纂のために整理・収集した約3千件の資料の内、庁外から集めた初出の資料は約40件に上る。 |
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2014・9・9 産経ニュース (1ページ) 昭和天皇実録 終戦への道でリーダーシップ 抗戦派を説得 謁見回数、影響力裏付け |
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「記事内容抜粋」 9日公表された「昭和天皇実録」の記述内容からは、昭和20年8月15日の終戦に向け、昭和天皇がリーダーシップを発揮していた様子が、宮中側近や閣僚らの謁見内容などから改めて浮き彫りになった。 昭和天皇は戦時中、陸海軍上層部から連日報告を受けており、悪化する戦況を詳細に把握していたことが、終戦の「ご聖断」に結びついたといえそうだ。 |
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※昭和天皇陛下は、多難とご苦労が絶えず、ご不自由なさったと考えるといたたまれない。 普通の人間では到底耐える事など出来ようはずも無い。 産経新聞社の読みとかれた面々の苦労に感謝する。 日本の皇室は、官僚の下で開けた皇室と言っているが、余りにも窮屈そうで・・・ 皇室の権威は保ちつつ、皇室直属の配下(俗に言う家来)を配置、官僚と適当な距離を保つ工夫をすべきである。 もっと自由闊達な皇室のあり方を考えて差し上げるべきではなかろうか。 |
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